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私がママになる前(過去の自分編)

憧れだった空港で働くこと、それができなくなった時違う形で生きる道を見つけた話

こんにちは、Keiです。

私は、飛行機と空港が大好きです。

というのも、私はフィリピンと日本のハーフで幼い頃から成田空港からフィリピンに何度も行き飛行機を利用していたから。

そこで働く、グランドスタッフの方々やCAさんにずっと憧れを持っていました。
中学の卒業文集にも将来の夢を「空港で働く」と書いていたくらい憧れの職業でした。

私は高卒ですが、無事成田空港で働くことができ
下請け会社ではありましたが、大手航空会社の制服を着て旅客サポートを仕事をすることができました。

でも、それは長くは続かず長時間労働と低賃金。
心身共に不調をきたしてしまい、適応障害で休職。
でも、もう一度働くことは難しく1年半で成田空港を退職してしまいました。

退職した時点で、私はまだ19歳でした。

私のずっと夢だった「空港で働くこと」ができなくなってしまったことにとてつもなく悔しさや悲しさを覚え
その後はフリーターをしつつもずっと空港に未練を抱えたままでした。

その後、羽田空港の免税店で働くも人間関係が最悪で
半年足らずで退職してしまいました。

そのとき、あぁ私はどこに行っても駄目なんだ。
空港で働くことは無理なんだ…と諦めてしまいました。

もうこれ以上、やってみたい仕事もない。
憧れ続けたグランドスタッフという仕事に就けない悔しさや虚しさ。

そんな状況が何年も続きました。

でも、あるとき気付きました。
フリーターをしていたとき、人を教えることがすごく好きで楽しいということ。

新人さんの研修やトレーニングをしているのがやりがいになっていたことに気付きました。

そこでやっと、私の空港への未練は消え
「人と関わり、人をサポートする仕事がしたい」
そう思うようになりました。

空港時代も、旅客サポートといって小さなお子様をアテンドしたり、車椅子のお客様をサポートする仕事をしていました。

サポートすることが私はとても好きなんだ…!!

それに気づいた時、私はとても嬉しくて
そんな仕事が出来たらいいなと思えるようになりました。

今わたしは、こうしてblogやnoteで文章を書く仕事をしていて一見、サポートしたり接客業とはかけ離れたことをしているように見えますが、
ブログを使って好きなことややりたいことを叶えられる、という手段を読んでくれる人に伝え
そのサポートをすることができています。

接客業が大好きな私でしたが、コロナ禍で
なかなか対面での接客が難しくなった時代。

私は今、こうしてオンラインという形ではありますが
好きな文章を書いて生きる、やり方やそんな生き方を
おこがましいですが教える立場になることができました。

19歳の頃の私からしたら考えられないことです。

人生って本当に何が起こるかわからない。
だからこそ面白い。

そんなことに気づいた26歳でした。

 

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