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保育園、預ける?預けない?保活を一旦辞めることにした話。
おはようございます!
今日は私自身の、保活の話を交えつつ少し頑張りすぎていた部分をふぅーっと力を抜いてみることにしたお話をしたいと思います!
保育園激戦区!どうにか子どもを預けなければ。必死の保活スタート!
私が住んでいる神奈川県横浜市は、人口が多いのもあり
保育園激戦区なんです。私は出産前、ホテルで仕事をしていて仕事が大好きだったし職場の同僚もすごく明るくて優しくて、こんなにいい職場はないと思っていました。だから、子どもを産んだ後もまた復帰しよう!と当たり前に考えていました。仕事している自分が好きだったんですね。
想像以上に、思い通りに働けなかった妊娠中
そんなことをぼやっと考えていた妊娠中、つわりの中 母子手帳を貰いに役所に出向いたときのことです。
「私、職場復帰をするつもりで。なるべく早く復帰したい!って思っているんですが、保育園ってどんな感じですか?」と聞いたんですね。
そうしたら、職員さんがものすっごく眉間にシワを寄せて
「ごめんなさいね、正直ねKeiさんがお住まいのこの町は保育園はすごく難しいの。今のところ、0歳児クラスでも空きがないのと…特に出産予定日が3月(年度末すぎたんですよね)だとかなり…うん…、早めに保育園の見学や申し込みはされた方がいいと思いますよ」
保育園に関しては、本当に地域差があると思うんですが激戦区の街に住んでいる方はほんとに過酷なんですよね…
職員さんは優しい言い方で伝えてくれましたが、
ほぼほぼ無理ということなんですね、これ。
私はそれを妊娠するまで全く知らなかったので、職場復帰を簡単に考えていたんです。
夫婦共働きフルタイムだし、一番高いランクだろうから問題ないっしょ!!と思っていました。
でも、妊娠中の体調不良は壮絶でした。妊娠悪阻で入院をして1ヶ月休職したり、仕事中も吐き気がひどくて早退したり。。週5日8時間を妊婦が働くというのは、ほんとうに大変でしんどかったんです。今まで普通に働けていたのは、すごく幸せなことだったんです。
結局、妊娠がわかってから妊娠9ヶ月で産休に入るまで
まともに月21日働けた月はありませんでした。
よくても、月18日(週4) ひどいときは月10日(週2〜3)。
自分は今まで通り働きたいのに、どんどん大きくなるお腹とつわりでとても辛かったです。
「働いている自分」が大好きで、戻りたかった。楽しかったあの頃を返して欲しかった
そのせいで、保育園も申し込もうにも私は週5日フルタイムのランクではなくなってしまって、0歳児入園は絶望的でした。
でも、役所の職員さんに言われた言葉を素直に受け取り
産後1ヶ月足らずで保育園見学を始めたり。(娘には負担をかけたことを反省しています)
毎日のように、認可保育園から認可外保育園、子ども園まで種類を問わずに働く場所を探しました。
今思うと、もう周りが見えなくなっていたんですね。
育児だけに向き合うのが怖くて、早く「働いていたあの頃の自分」に戻りたくて。
出産手当金や育児休業給付金も受け取れるので、生活ができないわけではなかったけれど。専業主婦になる、ことが向いていないのは自分が一番わかっていたから絶対に職場に戻りたかったんですね。
その頃の目的は「保育園に入れること」だったんですよ。
保育園にさえ入れられれば、私は自由に働ける。元の私に戻れる。と思っていました。「働いていた自分」が大好きだったから、あの時間を返してほしかった。
隣ですやすや寝ている娘をまともに見ることもせず。
この頃もしかしたら私は、娘のことをかわいいと思えていなかったかもしれません。
望んだ妊娠の末、産まれてきてくれた娘。あんなに待ち遠しかったはずなのに、
娘が産まれて育児に24時間向き合っていると
どんどん辛くなったんですよ。
「この子のせいで、やりたい仕事もできない」
「私はこれからもずっと、育児だけをしなければならない」
「私はもう、Keiという個人ではなく、娘の母親なんだ。個人の人生は終わってしまった」と悲観的になりました。
完全に、産後うつの症状ですよね。すごく偏った考え方をしていたし、周りの親戚たちに言われる、
「赤ちゃんは可愛いでしょう。仕事なんか、行きたくなくなるよね」
「赤ちゃんが小さいうちは、もちろん一緒に過ごすんでしょう?」
この言葉は当時の私には、キツかった。
なんでみんな、当たり前に子どもが可愛いって思えるの?自分の人生奪われた、って思わないの?
仕事したいって思う私って母親失格なの?
こんなことを考え、病みました。それはもう本当に。
だから、とにかく保育園に申し込まなければと
家から通える保育園には全て申し込みました。
娘が産まれてまだ、2ヶ月でした。育休自体は、1年取れるのに焦って、仕事をしていない自分が不安で、怖くて、慌てて申し込みをしました。
届いたのは「保留通知」そこで気付いた、私の本当の気持ち
娘が、生後3ヶ月になってすぐ。
申し込んでいた保育園の利用調整の結果が届きました。
…なんとなくわかっていた通り、保育園には一つも受からず保留通知が同封されていました。
役所の人には、もっと希望園を増やしたり…職場の近くでもう一度探してみては?とアドバイスもいただきましたが、私はもう疲れ切っていました。
産後うつ状態で、育児をこなすことだけで必死になっているのに
この状態で仕事…? 無理じゃん。
急に、諦めがついてしまったんですね。
こんなに大変な保活を続けるのが嫌になってしまいました。
まずは、私の「産後うつ」という病を治してから。
話はそれからだ!!って気づいたんです。
だって、家事もまともにできない私が仕事に前と同じように戻れるわけがない。
今までは必死で、気づかなかったけれどそういう時期じゃないんだと思いました。
私が病気になった、おかげで見えてきたこと
私が産後うつという病気になったのには意味があったんじゃないか?とふと、思うようになったんです。
今までの人生は、ずっと仕事をしてきて働きづめの毎日でした。18歳のとき新卒で入社した、成田空港での仕事は理想と現実があまりにもかけ離れていてしんどくなって退職してしまいました。
それでも、すぐに転職をして働きました。
「会社に出勤してバリバリ週5日8時間働くこと」
それしか、頑張り方がわからなかったからです。社会人はみんな、スーツを着て満員電車に乗り、上司に嫌味を言われながら必死に働く。
そんな社会人しか、見たことがないから。知らなかった。
個人事業主とかフリーランスとか聞くけど、
あぁいうのは「才能のある人」がやること、って思っていたので。住む世界の違う人の話だと思っていたんです。
でも、もしかしたらそんな人生に憧れていたのかもしれない。
しんどい保活に惨敗し、もう会社員として働きたくなくなってしまったんですね。
そんなとき、見つけたのが今のブログの先生である千聖さんのブログです。
私が、保活を諦めた途端。「もういいや」と思った途端に現れた恩人のような方です。
千聖さんに心を揺さぶられどうにもこうにもいてもたってもいられず、「文章を書くこと」を始めました。
そうしたら、今まで苦しくて苦しくてたまらなかったのが嘘みたいに人生が楽しくなったんです。
子どもを保育園に預けたわけでもなく、今も隣で娘は寝ています。娘と2人きりで過ごすことには変わりないのに、こんなにも見える世界が変わるのか!!!と
今とても、驚いています。
視点を変える、って難しいけれどその先にあるのは心からの幸せ
「視点を変えて物事を見てみると、新たな発見がある」とかよく言いますよね。
本当によく聞く。でも、そのやり方を教えてくれよ!!!って思ってたんです。
自分の思い込みや、自己暗示みたいなものから逃れようにもやり方がわからなかった。
よくある自己啓発本とかに「物事の見方を変えてみて」とか書いてありますよね。でも、じゃあどうやったらいいのかが全くわからないんです。
私がブログを始めて、お金をいただけるようになった今。
期間限定で、「好きなことを仕事にする電子書籍」をプレゼントいたします。
あの頃の私のように、現状に悩んでいる方に
ぜひ見ていただきたいです。きっと、読み終えた頃には
人生が明るくなっているんじゃないかな。と思います。
おわりに
私は、早々と申し込んでいた認可保育園の申し込みを
一旦、取り下げました。
つらいときに、一時的に預けられるように一時預かり保育室にだけ登録をしておきました。
育休は来年の3月まであるので一旦保活はお休みをして
好きなことをしながら、体調を少しずつ回復し、娘と過ごせる今にシフトできるようになりました。
好きなことができる、ことが分からなかったら
今でも娘をかわいいと思えず辛い日々だったはずです。
自分が好きなこと、なんでもいいです。読書でも、メイクやファッション美容とか、美味しいご飯を食べるとか。
自分が楽しいと思えることを思い出すだけで、少し気分が変わるかもしれない。
私は「好きなことを仕事にする」ことができたおかげで人生が変わりました。
大事なのは、自分の気持ちです。「言われたことをやる」という受け身ではきっと挫折してしまいます。
「自分がやりたい」と自分から突き進める何かがあなたにも見つかりますように。
ぜひ一度、読んでみてください。
きっとあなたの、やりたいことが見つかるはずです。